貧乏神と福の神

例えば心因なんかに原因がある症状の場合、

症状の改善に置いて、大前提でとっても大切なことがある。

 

それは「絶対に良くなりたい!」と、いう強い意志である。

と、少なくともわたしは思っている。

 

えー!みんな健康で快適なカラダを目指してるに

決まってんじゃん。

 

と、心で唸ったアナタ。

確かにその通り。

 

でも人は時として、痛みや不調を理由にしながら

現実と対峙するのを避けちゃう場合もあったりする。

 

痛みや不調が続いていた方が都合がいいな・・・

自分でも気が付かないような心の底で

そう、ひそやかに思っていることもあったりする。

 

日本むかし話で「貧乏神と福の神」って話があった。

グータラな男の家にはビンボーを快適とする貧乏神が

さも居心地よく屋根裏で寝っ転がっている。

でも、そこに働き者の嫁が来て、

貧乏神が居づらくなっちゃう・・ってお話。

 

で、私は思うのだ。痛みや不調も、

ぴっかぴかに健全な心を宿にしたら居心地が悪かろうと。

 

だとしたら、まずはお宿の気持ちの方向が

改善においてひっじょ~うに大事ではないか。

と、考えるのだ。

 

「本当に楽しい時、大抵の痛みは忘れているものである」

 

そんな格言があるかは知らないけれど、

そう思う事柄は意外に多い気がするオカメである。

 

bi_200

居づらくなったビンボー神さん

2013年6月2日|自律神経0 コメント

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